無事是貴人
2011年も残すところ三日となった今回は
禅語について触れてみようと思います
無事是貴人(ぶじ これ きじん)

茶掛の禅語として使われることの多い言葉なので
目や耳にしたことのある方も多いと思います
特にこの時期、年末の茶席などでよく見かけます
もともとは季節を問わない言葉ですが
一年間、大きな災難に見舞われることなく
無事安泰に暮らせたという喜びと感謝の意味で
また、12月の師走という多忙な年の瀬でも
決して慌て取り乱さず
無事に新年を迎えられますようにという願いを込めて掛けられます
しかし、この言葉禅の世界では、少し解釈が違います
無事とは、「何事も無く」という意味ではなく
仏や悟りを外に求めないこと
即ち自分以外の人や物に求めない心のことを意味します
貴人とは、貴族や貴婦人などの人間の階級な意味ではなく
真に貴ぶべき人、高貴な心を持つ人、転じて仏をさす意味だそうです
『臨済録』という禅の公案集にはこうあります
「無事是れ貴人なり。ただ造作することなかれ、ただ是れ平常なれ」
何時、如何なる状況に置かれた時にも
自分以外に何かを求めるのではなく
当然のことを造作なくやることが平常であり
これこそが無事であるということで、
それこなせる人が、真に貴ぶべき人であり
仏の心であるということを説いているのです
つまり
真に貴ぶべき仏の心は、己の中にあり
それを理解しないまま
外に求めてはいけない
ということなのです
どうしても時間が無く、仕事にプライベート、また家庭にと
何事も焦りがちになってしまう年末ですが
そんなときこそ、一度立ち止まり、大きく深呼吸をして
この言葉を思い返してみてはいかがでしょうか?
無理に焦って追い求めるのではなく
着実に歩みを進めるところに、自ずとその成果があらわれてくる
禅語には、一般的に知られている茶掛での意味と
禅の世界での意味が異なるものが多くあります
その両方を理解すると
また、違った楽しみ方ができるのではないでしょうか
ちなみに、カームでは昨日27日に忘年会をしました
年内は29日まで営業しておりますが
社長をはじめ、カームスタッフ、北大路先生ご家族も参加されました
この一年、大きなトラブル見舞われること無く、新しい年を迎えられそうです
無事是貴人
これもお客様あってのことです
来年も皆様に喜んでいただけるようがんばりますので
よろしくお願いします

禅語について触れてみようと思います
無事是貴人(ぶじ これ きじん)

茶掛の禅語として使われることの多い言葉なので
目や耳にしたことのある方も多いと思います
特にこの時期、年末の茶席などでよく見かけます
もともとは季節を問わない言葉ですが
一年間、大きな災難に見舞われることなく
無事安泰に暮らせたという喜びと感謝の意味で
また、12月の師走という多忙な年の瀬でも
決して慌て取り乱さず
無事に新年を迎えられますようにという願いを込めて掛けられます
しかし、この言葉禅の世界では、少し解釈が違います
無事とは、「何事も無く」という意味ではなく
仏や悟りを外に求めないこと
即ち自分以外の人や物に求めない心のことを意味します
貴人とは、貴族や貴婦人などの人間の階級な意味ではなく
真に貴ぶべき人、高貴な心を持つ人、転じて仏をさす意味だそうです
『臨済録』という禅の公案集にはこうあります
「無事是れ貴人なり。ただ造作することなかれ、ただ是れ平常なれ」
何時、如何なる状況に置かれた時にも
自分以外に何かを求めるのではなく
当然のことを造作なくやることが平常であり
これこそが無事であるということで、
それこなせる人が、真に貴ぶべき人であり
仏の心であるということを説いているのです
つまり
真に貴ぶべき仏の心は、己の中にあり
それを理解しないまま
外に求めてはいけない
ということなのです
どうしても時間が無く、仕事にプライベート、また家庭にと
何事も焦りがちになってしまう年末ですが
そんなときこそ、一度立ち止まり、大きく深呼吸をして
この言葉を思い返してみてはいかがでしょうか?
無理に焦って追い求めるのではなく
着実に歩みを進めるところに、自ずとその成果があらわれてくる
禅語には、一般的に知られている茶掛での意味と
禅の世界での意味が異なるものが多くあります
その両方を理解すると
また、違った楽しみ方ができるのではないでしょうか
ちなみに、カームでは昨日27日に忘年会をしました
年内は29日まで営業しておりますが
社長をはじめ、カームスタッフ、北大路先生ご家族も参加されました
この一年、大きなトラブル見舞われること無く、新しい年を迎えられそうです
無事是貴人
これもお客様あってのことです
来年も皆様に喜んでいただけるようがんばりますので
よろしくお願いします

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